プロフィール

はじめまして

私の居場所をつくるカウンセラー、風美良來(かざみらら)です。
あなたは周りの人の感情に敏感すぎて自意識過剰になっていませんか?
やさしくていい人、と言われるけれど本当は言いたいことを我慢していませんか?

そんな人のために、
やさしさを自分にも向けられるようになるカウンセリングをしています。

私がカウンセラーになるまでをまとめてみました。

お付き合いいただけたら嬉しいです。

幼少期——「いい子」で当たり前だった私

私は6人家族の中で育ちました。両親、祖父母、弟とともに、
自然豊かな環境の中で過ごしました。

仕事などで忙しい両親に代わり、祖父母や周りの大人たちが面倒をみてくれていました。

そんな中で、周りの人の感情や空気を敏感に感じ取り、
いつの間にか「いい子」でいることが当たり前になっていました。

弟が手のかかる子供だったため、親の注意は自然と弟へと向いていて
「お姉ちゃんなんだから」と言われて自分の気持ちを抑えたり、
弟に譲ったりすることはよくありました。

そしてますます「手のかからない、いい子」になっていったのです。

「いい子だね」と言われることが嬉しかったり誇らしかったりするので、
それを辛いと思うことはありませんでしたが、

今にして思えば、「なんで弟ばっかり」と、うらやむ気持ちもありましたし、
寂しさや甘えたい気持ちもあったのだと思います。

小学校でのいじめ
——「いい子」でいるだけでは守れない自分

小学校に入ってからも、「いい子」は続いていました。

でも、テストで100点を取っても、リレーで学校の代表選手になっても
親から褒められたという記憶はありませんでした。
親からすると私はいつもできて当たり前、だったたようです。

勉強や運動がごく普通の弟が、いつもよりいい結果を出すと褒められるのを見て
「私のほうがずっとできているのに、、、」と羨ましさや不公平感、寂しさを感じていました。

先生や周りの大人からは「いい子」と思われているけれど、
自分自身は何となく居心地の悪さを感じてる、という状態でした。

そんな毎日を過ごす中で、「学校に行きたくない」と思う出来事が起こりました。
いじめに遭ったのです。

私の言動のいちいちを監視され、些細な言葉や行動の揚げ足を取られ、
悪意のある言葉を投げつけられ、容姿をからかわれ、否定され続ける。

辛くて悲しくて泣いていれば、人間として当然の感情も否定され
更に追い詰めることをしてくるクラスメイト達。

気がつけば、活発で物おじしない性格だった私が、
失敗や間違いを過度に恐れて、自分の気持ちを押し殺して、
傷付かないように完璧を目指すようになって行きました。

私の言葉や行動が原因で、いじめっ子たちに付け入られないように
自分が傷つかないように、気を張り詰めて過ごしていました。

そんな毎日を送っていましたが、親には心配をかけてはいけないという思いが強く、
自分が置かれた状況を親に伝えられずにいました。

ある日、学校でケガをしたことがきっかけで、
親は異変に気づき、担任の先生にも相談してくれましたが、
いじめは止まるどころか悪化するばかり。

辛い状況は変わらず、「辛い」「助けて」が言えなくなりました。
「信用できる人、助けてくれる人がいない」と感じて
さらに自分の気持ちを表現することもできなくなっていきました。

放課後はいじめっ子に会わないように図書室にこもり、
校舎を閉める時間まで本を読んで過ごす毎日を送るようになりました。
本を読んでいる時間だけが、学校で安心できる時間だったのです。

辛い日々で、朝起きるのも体が重かったり、腹痛で苦しかったりしましたが、
いじめっ子の思う通りにはなりたくない一心で学校へ通い続けました。

無難だったけれど、楽しさもなかった中学時代

中学校に進んでからは、いじめられることはなくなりました。

でも、いつ、「誰かから傷付くことを言われるかもしれない、、、」
と、人目を気にしながら行動するようになりました。

勉強や部活動には真面目に取り組んでいたし成果も上げていたので
先生や大人たちからは、相変わらず「いい子」とみられていましたが、
同級生たちと気軽に話したり遊んだりすることができず、
そのため親しい友人を作ることもできず時間が過ぎていきました。

大きな問題もなかったけれど、楽しさや充実感を感じるわけでもなく
学校が自分がいてもいい場所とも思えず、居心地の悪さを感じていました。

たまに、原因不明の体調不良が起こったり、
ありえない場面で大きなけがをしたりと
振り返ってみれば、心と身体からのサインは出始めていたのです。

「もう無理」——「頑張らなきゃ」が限界を迎えた日

高校生になり、新しい環境で勉強も運動も頑張ろうと思っていました。
それ以上に「ちゃんとできるかな?」「大丈夫かな?」と不安も大きかったのです。

田舎では良くあることなのかもしれませんが、
先生や大人たちに名前を名乗っただけで「ああ、〇〇さんちね~」
と、身内の間に多い職業の関係もあって
人間関係や家庭環境などがある程度分かってしまう状況でした。

これには、どこに行っても人の目があって監視されているような
窮屈さや息苦しさを感じていました。

勉強も運動も自分なりに頑張っていたし、成果も出していましたが
「〇〇さんちは頭いいからね~」「〇〇さんはできるんだから」などと
大人たちが深い意味もなく軽い気持ちで言った言葉を必要以上に重く受け止め過ぎて

更に、イライラする顔、がっかりする顔、怒る顔は見たくないし
感情のエネルギーを浴びたくないという思いが強く、

「完璧にやらなくちゃ」「いい結果を出さなくちゃ」
「もっと真面目にやらないと」「絶対に失敗できない」などと
自分で自分を追い込み、追い詰めて不必要に重いプレッシャーをかけていました。

周りの人のちょっとした言葉や表情に過剰に反応しすぎて、重く受け止めて傷付き、
更に色々言われないように、周りに気持ちを張り詰めて

ますます「完璧にしなければ」「もっと上手にやらなければ」
「絶対に失敗していけない」と行動するようになりました。
以前は勉強も部活動も楽しかったし、好きだったのに苦しいだけになっていきました。

自分の感じていること、思っていることを誰かに話して伝えるということも
否定されたり、「聞いてもらえないだろう」と思うと話すことも怖かったし、

気持ちを抑え込む癖がついていたので、
言語化することが難しくて黙り込んでしまう状態になっていました。

「苦しいと感じるのは、自分の努力が足りないせいだ」
「できない自分がおかしいんだ」
と思っていたので、誰かに相談するという発想もありませんでした。

そのうち、慢性的な胃の痛みが起こるようになり、さらには不眠、過呼吸、
特におかしいこともないのに、突然笑いだしてその笑いがなかなか止まらない。
などの症状が出始めました。

そのような状態になっても、「あなたの心が弱いから」という
周りの声が聞こえてくるような気がして重い体を引きづるように学校へ行っていました。

そんな日々が続いていたのですが、ある日、心も体も限界を迎えました。
「もう無理、疲れた、頑張れない」と学校へ行けなくなりました。

寝床から起き上がれない、起きられてもそれ以上体が動かない、
それを乗り越えて身支度し、電車に乗って学校へ行く。

やっとの思いで学校へ来たけれど、めまいや胃の痛みで
授業を受けられずに早退して何とか家にたどり着く。

授業を受けられても、ただ座っているだけでぐったりと疲れる。
その日の授業の内容は何も頭に残っていない。。。

そんな自分が情けなくて、ますます自信をなくし、
さらに学校へ行けなくなる悪循環に陥りました

心と体がバラバラで、自分のことなのに何も分からない状態でした。

学校に行けない私はダメですか?」—罪悪感との闘い

「いい子」で勉強や部活動も頑張っていたし、できていたのに突然どうしたんだ?
周りの大人たちは「あなたのため」と色々アドバイスをくれましたが、
耳にも心にも何も入ってくることはありませんでした。

私が何を感じているのか、考えているのかに関心を向けてくれる人はなく、
気軽に本音や他愛のないことを言い合える友人もいなかったので
虚しくて寂しくて悲しくてますます心を閉ざしました。

担任の先生の紹介で初めて精神科を受診しましたが
「学校へ行けないのは治療すべきことなのか」と罪悪感を抱きました。

親、特に母親は病院に行っているのだからそのうち良くなるだろう、と思っていたところがあり、私が何を考えているかや置かれた状態を理解しようとすることはなく、
寂しさや辛さ、苦しさはどんどん積み重なっていました。

辛い場所へ行かなくて良くなったという安堵感は感じず、
学校へ行けない不安や焦り、自分だけが世界から取り残された、との思いを強くしました。
この状態では今の学校ではやっていけないと思い、通信制高校へ転校しました。

毎日登校しなければならなかったり、
勉強や運動でいい結果を出さなくてはいけないという
プレッシャーから解放されたことで、ある程度は気楽に過ごせました。

しかし、「親が望むいい子でない」「一般的なレールから外れた」
「他のみんなが普通にできていることができない自分は恥ずかしい。情けない」
といった思いが強まり、罪悪感と自責に囚われるようになりました。

その思いから、母親と喧嘩することも増えました。
言い合いがエスカレートして激しい言葉の応酬で
お互いを傷つけあうことも頻繁にありました。

喧嘩の中で投げつけられた様々な言葉に深く傷ついて
人とコミュニケーションを取ることがますます怖くなりました。
親しい友人もできず、自己肯定感が低く、
自信も持てず、将来に希望を持てずにいたのです。

社会に出ても繰り返した「頑張りすぎて壊れる」パターン

学生生活が終わり、社会へ出ることが怖くて仕方ありませんでした。
仕事を探し始めましたが、何がやりたいのかも良く分からず、
積極的に動くことができませんでした。

やっとのことで面接を受ける、というところまで進んでも
「失敗してはいけない」「上手に受け答えをしなければ」との思いが強く、

緊張しすぎて動きがぎこちなくなり、声の震えや手の震えが現れ、
それにますます緊張して挙動がおかしくなる。

それを何とかしなくては思うと更に緊張してパニックを起こして涙が出る。
「まずい。いけない」と思っても自分でコントロールができない。
こんな状態なので結果は当然不採用。ということを繰り返しました。

その度に落ち込み、自信を無くし、自分を責めて
「みんなができていることができない私は人より劣っている」
と卑屈になっていきました。

人と接することも、家の外へ出ることも怖く、家を出ようとすると
過呼吸やひどいめまいを起こすようになってしまったのです。

それでも、外出が必要な時はあって、
手続きのために名前や住所を書きこもうとすると手が震えて書きこめないとか
ずっと人目を気にして緊張し続けてめまいや吐き気で動けなくなる、
外出した翌日から発熱して数日寝込む、などが起こっていました。

「こんなことではまともに働いたりすることなんてできそうもない。。。」
と自分を責めて苦しい日々が続きました。

今なら、ここまでの状態になっていたら心療内科や精神科を受診し、
カウンセリングも受けようと考えますが、
この頃は、それらが必要な状態だとは全く思っていなかったのです。

身体の状態がままならくて、外へ出ることが難しくなったことで
ある意味開き直って家で自分のペースで過ごすことができるようになりました。

昼間は両親が仕事へ出ていたので、家族のことも気にしないで
一人でいられることに安心することができたのです。

しばらく、そんなマイペースな生活ができたことで少しづつ身体も心も回復して、
仕事をするという目標に向かって動き出すことができました。
就職活動は大変でしたが、何とか頑張って働き始めることができました。

しかし、仕事を始めてからも自己肯定感が低く
自己否定と自分責めの強さは変わりませんでした。

人の悪意やネガティヴ感情にとても敏感で、疲れやすいこともあって
コミュニケーションに苦手意識が大きいので、


同僚や先輩、上司との何気ない会話にも疲れ果てて
気軽に話せる人や相談できるような人も作れずに、
「ここは自分が居てもいい場所」と思えずに居心地が悪かったのです。

心の奥に、「自分はダメな人間だ」「できない自分に価値はない」という思いがあるので、
そんな自分を人に見せないように弱みを見せないようにと頑張るしかありませんでした。

どんなことでも真面目に一生懸命に頑張って取り組むので
結果的には成果も上げるし評価も良くなるのですが、

頑張る理由が「できない自分を見せたくない」「できない自分を認めたくない」
というプライドの高さだったり、

「できない私だったら職場に居られなくなる」という恐怖心に追い立てられている状態なので
楽しや充実感は感じることができませんでした。

仕事をするだけで疲れ果て、休日は緊張から解放された反動からか
熱を出したりぐったりと疲れ果てて寝るだけで、
出かけたり好きなことをする余裕もありませんでした。

がんばりすぎて身体にも心にもストレスがかかって体調が悪くなり始めているのに、
更に頑張らなけれはいけないと無理をしてしまう。

でも、無理をしていることに気が付いていなくて、
ますますストレスを溜め込んで体調を悪化させてしまう。

助けを求められずに身体も心も限界を迎え、心も身体も自分ではコントロールできなくなって
仕事ができる状態ではなくなり仕事を辞める。。。

仕事を辞めたことでますます自信を無くして
対人関係や外の世界への恐怖から引きこもる。この悪循環を何度も繰り返しました。

自分のことが大嫌いで、人の目を気にしすぎる毎日。生きづらく、孤独で、

先の見えない不安に押しつぶされ、

私の居場所なんてどこにもないと感じていました。

涙が止まらなかった日——カウンセリングとの出会い

仕事も恋愛もうまくいかず、鬱状態になったある日、涙が止まらなくなり、再び精神科を受診。

そこで初めてカウンセリングを受けました。

最初はほとんど話せず、ただ泣くばかり。

でも、そんな私を否定せず、じっくり話を聞いてくれる存在に、初めて「安心」を感じました。

「泣いていても、うまく話せなくても、私は受け入れられている」

——この経験が、私の人生を変える第一歩でした。

幸せになってもいい」と思えた瞬間

カウンセリングと投薬で少しずつ回復してきた頃、担当カウンセラーが退職することに。

不安でいっぱいだったけど、最後のカウンセリングのいちばん最後にかけられた

「お幸せに」という言葉が、私の心を大きく動かしました。

「私、幸せになってもいいんだ」

──そう感じた瞬間、ようやく自分に許可を出せた気がしました。

お世話になったカウンセラーさんとの別れは寂しかったですが、

この経験が更に私を前に進ませてくれるきっかけにもなりました。

次に何をすべきか考えていたとき、コーチングと出会いました。

「やってみたい!」と思ったものの、お金の問題で悩みました。

しかし、以前の自分だったら考えられない行動力で問題を解決し、受講できたのです。

生きているだけで精いっぱいで、未来のことなんて考えられなかった私が、

やっと、少しだけでも未来のことが考えられるようになったことが自分でも驚きでした。

希望をもってコーチングを受け始めましたが、最初はかなり大変でした。

目標に向かって更に深く自分と向き合う日々でした。

そして社会復帰。

カウンセリングで安心感を得たからこそ、次のステップに進めたのです。

カウンセリングがあったからこそ、私は変わった

社会復帰したあとも、すべてが順調だったわけではありません。

辛いことも、悩みも、もちろんありました。

でも、それを乗り越えられるようになったのは、カウンセリングのおかげでした。

「完璧じゃなくてもいい」「泣いていても大丈夫」

「嫌な自分になってしまっても、受け入れてくれる人がいる」

——この経験が、私の人生を変えました。

もしカウンセリングを受けていなかったら、今ごろどうなっていだろう?

あのとき、「何とかしなければ」と勇気を振り絞った自分を褒めたいと思います。

そして、元気になった今、私は「昔の自分のように苦しんでいる人を助けたい」

そう思い、カウンセラーの道を選びました。

「もう一人で頑張らなくていい」
       ——生きづらさを感じるあなたへ

かつての私は、周囲に敏感すぎて疲れ、自信がなくて不安で、

その不安に振り回されて、自分を責め続ける日々を送っていました。

そんな私を救ってくれたのがカウンセリングです。

自分の心と体に優しくすることで、世界が変わっていきました。

生き辛さを感じている人、

自分の居場所がないと悩んでいる人、

自分を責め続けてしまう人へ。

一人で抱え込まないでください。

あなたは変われるし、幸せになる力があります。

私が,そのお手伝いをします。

もう、一人で頑張らなくてもいいんですよ。

「あなたの人生が、もっと楽になりますように」
        ——その一歩を踏み出すために

グルグルと考えすぎて苦しくなる時間を減らし、

安心できる場所で、自分の人生を楽しめるようになる。

そんな一歩を踏み出すお手伝いをするために、私はカウンセラーになりました。

もし、あなたが少しでも「変わりたい」と思うなら、その気持ちを大切にしてください。

あなたの人生が少しでも楽になるように、寄り添いながらカウンセリングをさせていただきます。